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2008.06.04 (Wed)

第178話『THE END OF THE WORLD 1 君が望んだ三千世界』 感想・考察

ハヤテのごとく! 第178話の感想と考察のようなものを書きたいと思います。
*重要な(と、少なくとも私は思っている)ネタバレがあるので未読の方はご注意を。
*画像はありません。(その分、「斜体の括弧囲み」で台詞を引用しています。)
*ですます調は使わないで書こうと思います。

【More・・・】

 今回は巻頭カラーという事もあり立ち読みで済ませず購入したし、何より新シリーズ「借金執事のできるまで」編突入とのこと。
 最重要キャラの一人であろうアーたんも登場したことだし、非常に感想を書きたい衝動に駆られた。

 まず冒頭からして、非常にシリアスな入りだった。ハヤテが夢を見た、と始まる訳だが、それも
「生まれて初めて死んでもいいと思った日の夢」
と言うくらい。
 ギャグとラブコメで忘れがち、あるいはあまり重く考えなくなりがちな、ハヤテの不幸さを一気に再認識させてくれるような文だった。

 久々のサンタが登場した。彼のセリフ「最後に笑うのはきっと…ひたむきでマジメな奴だから…」がやけに心に響いてくるが、少なくとも幼き日のハヤテ少年にはまだ現実とならない言葉のようで、幼稚園にて給食費を盗んだ疑いを掛けられてしまう。
 それにしても、この子供たちがハヤテを疑うシーンがいやに残酷に感じる。親の悪行が知れ渡っていたとのことで、確かに現実にあんな親が居れば無理もないのかもしれない。しかし、「ハヤテ君がきっと盗ったに決まっているよ――!!」との台詞。
 この「きっと」「決まっている」という、よく考えれば矛盾した言葉が子供の純真さと残酷さを思わせる。「けどハヤテ君の親は悪い人だってママが言ってたもん!!」の台詞にも現れているように、聞いた事を丸々信じて、その子供だから盗った、と決め付けてしまう。
 だが子供たちには深い意味は無いのだろう。"親が言ったから"そう言ったのであって、それが「きっと」と「決まっている」との言葉の併用に現れているように見える。
 だからこそ、そう言われたハヤテの傷は深かったことだろう。あの年齢で「誰も信じてくれない」のだから。

 そして、ハヤテの父親が登場する。(顔は「父」と書かれたままだが)
「父さんは信じるよ。ハヤテ君は盗ってないって…」「だって盗ったのは…父さんだ(ハートマーク)」と悪びれもせずに言うその姿が、やはり最低の親と認識せざるを得ない。第一巻の時は、あの両親の酷さも、ハヤテのツッコミと相まってギャグの一部のように思え、そこそこ笑えたのだが、今回はその後に「この世には…本当にヒドい話が、あると思った!!!!」とのハヤテの台詞が来る。その時の、ハヤテの目が見開かれ、同時に「ドクン」という擬音が付いているあたりが、ハヤテの心境を推し量らせる。この「ドクン」という擬音が、最も効果的な場面ではないかと思った。

 そしてハヤテは走り出す。その際、走る姿、街の姿をバックに丸2ページ以上に渡ってハヤテの独白があるのだが、サンタの「最後に笑うのはきっと…」の台詞を全力で否定。「ウソだ!!」の六連発。
 ここで目を引いたのが、「!!」このエクスクラメーションマークが非常に多いということ。元々漫画はこれを多用する傾向にあると思うのだが、この2ページは特に多い気がする。(多いというよりも、目に付きやすいというか、場面とマッチしているからそう感じるだけかもしれないが)
 「こんなに生きるのが辛いなら別に死んでもかまわない!!」「あんな奴はもう親じゃない。」とまで言わしめる程の追い詰められ様である。実際、心はボロボロだと思う。
 しかし、実際幼い子供一人で生きていくわけにもいかず、結局は1巻の時点まで親と一緒に暮らしていく訳である。それでも耐えていけたのは、やはり彼女と出会ったことが大きいのだろう、と思う。

 満を持して、「アーたん」こと「天王洲アテネ」が登場する。
 余談かもしれないが、今まで長い間「アーたん」であったせいか、個人的には、この仰々しい名前には呼ぶにしても少し違和感を感じてしまう。名前というのはSSの三人称の地の文などでは正式な名前で書くことも多い訳だが、もし書くようなことがあってもこの名前、慣れるのに時間が掛かりそうな気がする。「虎鉄」を「瀬川虎鉄」と書く時なんかとは比べ物にならないほどに。

 今までの回想シーンや、今回の中の扉絵などでも描かれているのが、"手を差し伸べるシーン"である。今回、その構図がまた(というよりは、正式に、の方が良いか)描かれた訳だが、この時の台詞
「一人じゃ無理と言うのであれば、左手ぐらいなら私が貸してあげますから…」
が心に染みる。
 まさに、この時のハヤテが求めていたものではないだろうか、と思う。
 思えば、この"手を差し出す"という行為、2巻でギルバートを退けた後に「僕が君を守るよ」とハヤテがナギに言った時といい、やけに印象的な気がする。
 畑先生のバックステージvol.49で、「この連載のフィナーレで恐らくハヤテが言うであろう台詞があります。」と書かれているのは有名であると思うし、この最後の台詞を予想していらっしゃるブロガーさんもたくさんいらっしゃる。
 私は台詞まで予想していないが(出来ない、というのもあり、しない、というのもある)その台詞を言う時に、おそらくはこの"手を差し伸べる"という動作とともに言うのではないかな、と感じた。

 最後のページで、やっとアーたんことアテネの顔がきちんと登場する。姫神と並んで最も顔が気になっていた人物だったが、そのコマでの目、口元、そして「この星で、最も偉大な女神の名前よ。」との台詞によって、まさに"不敵"という印象を受けた。

 今回のサブタイトル、「THE END OF THE WORLD 1 君が望んだ三千世界」について思ったこと。
 直訳すれば、"世界の終わり"な訳だが、これはまさに、ハヤテにとって一つの世界が終わったのだと思った。
 この日、ハヤテが初めて「死んでもいい」と思ったほど追い詰められて、そしてアーたんに出会った訳だが、このアーたんに出会うことによって、ハヤテの世界が変わった。つまり、新しい世界になったと同時に、一つ世界が終わったのだろう、と。もう誰も信じられなくなった世界の中で、彼女だけは信じられた。初めて安らぎが得られる世界へと変わったのではないかな、と。
 そして、彼女とすれ違ってしまった時も、ナギと出会った時も、それぞれ一つずつがハヤテにとって"一つ世界が終わった"のではないかな、と、ふとそんな事を思った。
 「君が望んだ三千世界」の部分についても、「三千院ナギ」の"三千"にも通じるのだろうと思う。勿論、今回の畑先生のバックステージに、読み進めればサブタイトルの意味が分かってくるとの旨が書いてあったし、もっと深い意味が込められているのであろうが、如何せん現時点で私にはこれ以上深く考えることは出来そうもない。

 そして、最後のページ右のアオリ。
 「運命の人(一人目)との出会い。」とあるが、後の運命の人はやはりナギなのであろうか。一億五千万の借金というどん底から救い、執事として雇い、新しい人々との出会いを提供したナギも運命なのだろうが、一番最初に、ハヤテの闇を救った(あるいは救いかけた)であろうアーたんは、やはり運命なのだろう。
 そして「綾崎ハヤテの人生に光を照らす(一人目の)女神。」とある。なるほどアテネとはギリシャ神話に出てくる女神であるが、女神と聞いてもう一つ思い浮かんだのは、マリアである。聖母マリアも、神の母や生神女マリヤなどと呼ばれるそうで、女神、と呼ぶのは正しいのか、語弊があるのか少し迷うところだが、マリアも後にアーたん並に重要な役割を担うのではないかなぁ、と、ふとそう思った。

 かなり長くなってしまった上、思ったことを手当たり次第書いたような感は否めず、考察と呼ぶには多少気が引けるがこの辺で終わりにしたいと思う。
 
 今後、物語はますます深まってくるだろう。SS書きとして見ても、本編でやる部分の過去話想像は書きづらくなるかもしれないが、アーたんという人物は書きやすくなるだろう。おそらく、その内に誰かがアーたんを使った話を書くかもしれない。
 次週からはますます目が離せそうにない。
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